こんげつのとくしゅう:「9/24 長新太さん」
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「こんげつのとくしゅう」コーナーでは
今月誕生日を迎える作家さんをご紹介します。
9月は長新太さん。
長さんの絵本は色鮮やかな絵と、文章のリズムが心地よい本ばかり。
ユーモアあふれるお話は、好きなように解釈してもよいといった自由さが面白いです。
ぜひ、この機会に読んでみてください。
児童展示3:「おつきみの本」
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秋はおつきさまがきれいに見えるきせつです。
秋の虫の声をききながら、おいしいおだんごやくだものを食べて、
おつきさまをながめてみましょう。
児童展示1:「ちいさい秋みーつけた!」
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夏から秋へと、少しずつ季節の移り変わりを感じるようになりました。
秋は本を読むのにぴったりな季節です。
ぜひ、いろいろな本を読んでみてくださいね。
連載企画:「これ知ってる?しおばら探検隊」第3回:塩原三恩人 その②
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第3回 塩原三恩人 その②
関谷から塩原へ向かう塩原街道は、毎日たくさんの車が行き交っています。特に秋の紅葉シーズンはたくさんの人が県内外から訪れます。
ところが、第1回で紹介した奥蘭田より少し前の時代、明治の初めまでは、そこに道らしい道はなく、人や馬がやっと通れるくらいの細い山道がわずかに通っているだけでした。
西那須野から塩原温泉にいたる山道を切り開き、今のような広い道に開発してくれたのが、明治16(1883)年に栃木県令(今でいう知事)になった、三島通庸です。
今回は塩原三恩人のひとりで、塩原街道の開発に力を注いだ「三島 通庸(みしま みちつね)」を紹介します。
三島 通庸 (1835年 – 1888年)
天保6(1835)年、現在の鹿児島中央駅近くに生まれました。
江戸末期の激変期には、寺田屋事件や長州征伐など尊王倒幕運動に参加。
戊辰戦争が起こると、これにも参加しました。戊辰戦争後は、現在の宮崎県都城を治める地頭に任命され、この功績が内務卿・大久保利通に認められ、明治4(1871)年に東京府参事として新政府に出仕することになりました。
その後、山形県や福島県で県令、土木局長、警視総監など、数々の役をつとめました。
明治16(1883)年に栃木県令として赴任すると、県庁の宇都宮への移転や、塩原新道、新陸羽街道の開削・整備にかかわり、車道を意識した近代道路の建設に尽力しました。


塩原新道
通庸が福島県令時代の明治15(1882)年に、会津若松を中心として山形県・米沢、新潟県・新潟、栃木県・大田原の三方に通ずる『会津三方道路』が計画されました。
これには、明治政府が産業を盛んにしたり、犯罪を防止したりするために、東京より北の道路を整備することに力を入れていたという背景があります。
それを受けて通庸は、西那須野から塩原、山王峠(栃木県日光市と福島県南会津町の境界にある峠)を通り、福島県に通ずる塩原新道をつくることを決めました。
通庸は栃木県令に赴任するとすぐに、塩原新道をつくるため調査を行い、明治17(1884)年1月には工事に着工しました。
しかしこの工事は崖を切り崩したり、沢に橋を架けたりする必要があり、非常に難しい工事となりましたので、たくさんの県の予算が割り当てられました。また、この工事は県民にとっても大変負担の大きなものでしたから、当時反対の声もありました。
それでも、通庸は工事を押し進め、わずか9か月後の明治17(1884)年10月に塩原新道を完成させました。
反対や不満の声も多い工事ではありましたが、いざ完成すると大勢の人々が遠方より渓谷美や温泉を求め訪れるようになり、塩原温泉が観光地として発展するもとになったのです。

【(左)『第41号 塩原字門前入口ヨリ川向遠望ノ景』 (右)現在の様子】

【(左)『第45号 八幡橋ノ景』 (右)現在の様子】
通庸は、開削事業を後世に伝えるために、写真と絵画で記録を残しています。塩原新道の記録も、石板画や油彩画、写真など多数残っています。
これらの記録は明治の塩原の風景を知ることができる、貴重な資料です。
今回そのいくつかを巡ってみましたが、それ以外の場所も、現在の様子と見比べてみるのも面白いかもしれませんね。
今回の記事を書くにあたって参考にした資料は、図書館で貸し出しができます。
【参考資料】
★『西那須野町の交通通信史』 西那須野町史編さん委員会∥編集 西那須野町 1993
★『土木県令・三島通庸』 丸山光太郎∥著 栃木県出版文化協会 1979
★『那須の文化誌』 那須文化研究会∥編 有限会社随想舎 2006
【資料提供協力:那須野が原博物館】
次回は、10月25日頃更新予定です。
展示連動企画:「宮沢賢治と星巡り旅」図書館オリジナルしおりプレゼント
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展示期間中に、宮沢賢治に関する本3点借りた方に
図書館オリジナルしおりを1枚 プレゼントします。
しおりは全部で4種類あります。
各種5枚(計20枚)
1人1日1枚までとさせていただきます。
無くなり次第、終了になります。
一般・児童展示(合同):「宮沢賢治と星巡り旅」
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2026年は、童話作家・詩人である宮沢賢治の生誕130周年にあたります。
それを記念して、塩原図書館では宮沢賢治にまつわる展示を行っています。
大人向けと子供向け、両方の本をご用意しておりますので、ぜひお手に取ってご覧ください。
連載企画:「これ知ってる?しおばら探検隊」第2回:塩原の歴史 その①
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第2回 塩原の歴史 その①
むかし、西那須野から塩原の関谷までの間を鉄道が走っていたことを知っていますか?
現在も一部、土塁や橋梁跡が残る場所もありますが、ほとんど痕跡が残っていませんので、知らない方も多いと思います。
そこで今回は市の文化財にも指定されている『塩原軌道「塩原口」駅舎跡』を紹介します。

塩原軌道(軽便鉄道)
塩原軌道は、明治45(1912)年7月11日に西那須野停車場から関谷駅間が開通しました。
その後、大正4(1915)年10月14日には新塩原駅(現在の入勝橋付近)まで延長され、大正11(1922)年10月1日には、さらに塩原口駅(現在の蟇石園地)まで線路を延長されました。
開通当時は石炭による蒸気機関車でしたが、大正10(1921)年に電化された後は、運行本数を増やし、多いときには一日八往復を数えたそうです。
このことにより観光客が増加しました。
また訪れた観光客により東京の文化が入り、塩原温泉街は都会並みの生活感となり、大いに繁盛しました。

【大正11(1922)年4月9日 塩原口の開通式で運行された祝いの花電車】
しかし、経済不況の波にさらされ、乗合自動車の普及も重なったことで経営が厳しくなり、昭和7(1932)年まで営業を続けていましたが、昭和7(1932)年1月にやむなく運転を休止、その3年後の昭和10(1935)年12月に軌道廃止並びに会社解散となりました。
塩原軌道「塩原口」駅舎跡

塩原温泉の表玄関となった塩原軌道「塩原口」は、現在は蟇石園地という公園になっています。
当時、駅舎周辺には土産物屋や人力車の乗り継ぎ所があり、運転手の宿舎もあって大変賑わったといわれています。
『吾輩は猫である』や『坊ちゃん』で有名な文豪・夏目漱石も、この鉄道を利用して塩原を訪れています。

【(左)大正11(1922)年4月9日頃の「蟇石入口」(右)現在の様子】
塩原軌道は、さらに先の福渡温泉まで線路を延ばす計画もありましたが、莫大な工事費に加え、移動の手段が車やバスが主流となってゆき、残念ながら実現に至りませんでした。
塩原軌道については、橋台跡の石積など、当時の痕跡が残る場所を今でも見ることができます。
今回、地元の歴史を研究している君島守さんに案内してもらい、当時の路線に沿って実際に歩いてみました。

【キョウドシ川(※)に架かっていた橋の橋台跡】
※関谷宿の区間は『下の堀』とも呼ばれる
写真の様にそのほとんどが、藪に覆われていたり、現在は民家が建ってしまっていたりしていて、時代の流れを感じます。
しかし、当時の様子のお話を聞きながら歩いてみると、その風景の中に当時の様子が見えてくるようで、なかなか貴重な体験となりました。
今回の記事を書くにあたって参考にした資料は、図書館で貸し出しができます。
【参考資料】
★『塩原温泉文化財と史跡めぐり』 塩原温泉郷土史研究会∥編 随想舎2022年
★『塩原町誌』 塩原町誌編纂委員会∥編集 塩原町1980年発行
★『那須塩原市の文化財 ―2019-』 那須塩原市教育委員会∥編集・発行 2019年発行
★『目で見る那須の100年』 益子孝治, 磯忍∥監修 郷土出版社 1995年発行
★『西那須野町郷土資料館紀要 第4号』 西那須野町郷土資料館∥編者・発行 1987年発行
★『栃木県鉄道史話』 大町 雅美∥著 落合書店1981年発行
★『郷愁の野州鉄道 栃木県鉄道秘話』 大町 雅美∥著 随想舎2004年発行
【資料提供協力:那須野が原博物館】
【取材協力:関谷郷土研究会事務局長 君島守氏】
次回は、8月25日頃更新予定です。





















